被災した方の生の声③ 地震
関東・東北の友人たちと少しづつ連絡が取れるようになり
地震が起きた瞬間の様子が知らされてきました。
どんな状況だったのか、送られてきたメールをそのまま紹介します。
(緑色の文字の部分だけ加筆しました)
怖かった! 怖かったよぉー! 地震が起きた瞬間、
都心のオフィス(13階)にいたんだけど いきなりどぉーん!ってきて
立つことは出来ない状態だったので 壁を支えにこらえました。
たまたま立っていた先輩は、そのまま部屋の隅まで転がったの。
コピー機は5mも移動し、棚からファイルが降ってきた!
窓の外を見ると、隣のビルがぐにゃぐにゃ曲がって見えた。
揺れが収まってから 階段使って下に降り、外に出たんだけど
歩道は崩れた壁の破片とガラスだらけ・・・ みんなでいったんロビーに戻りました。
でも、ビルが崩れるんじゃないかと不安で 不安で 本当に怖かった。
後輩は泣きわめくし、パニックってこのことを言うんだね。。。
最初は携帯が繋がったけど すぐに繋がらなくなった。
夕方まで我慢して様子見てたんだけど、みんな歩いて家に戻ることにしたの。
家まで5時間歩き続けました。途中のコンビニでありったけの食べ物と水を買って
でも、既にほとんどの棚が空っぽだったよ。家に帰って親の顔見た瞬間、
号泣でした。弟はもっと遠いとこにいたんだけど ひたすら歩いて歩いて
歩き疲れて公園のベンチで休んでいたら ホームレスのおじさんが
自転車を貸してくれたそうです。それでも家に着いたのは 明け方でした。
ライフラインは大丈夫だから このまま家にとどまります。
ただ、原発の爆発で エアコン使うな 外に出るな ってTVで言っている。
次の地震がいつ来るか分からないから怖くてお風呂に入れない。
昨日から計画停電が始まり、スーパーにはトイレットペーパーも乾電池も
ありません。 茨城の姉の家はオール電化だから全く家として機能しなくなったそう。
今は避難所にいます。これが本当に日本の都市の姿なのか?
信じられない気持でいっぱいです。
私たちは普通の生活ができることを 当たり前のことだと ずっと思っていました。
でも、そんな思いは災害によって 一瞬にして崩れてしまいます。
今無事で居られることに感謝し、不自由な思いをしていない私たちが
辛い思い 悲しい思いをしている被災者の方たちに
手を差し伸べなければいけません。
「万が一は 一万回に一回起こりうるから 万が一」なのです。
一万回に一回の確率で起こったこの地震は 「明日は我が身」かもしれません。
被災地にともしびを届けましょう今、自分たちができることから始めましょう。
こちらもご覧下さいね
被災者の生の声① 青森 地震
被災者の生の声② 青森 地震
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